よこじゆく

よこじゅくのブログです

學びセット

本當に おもしろいと思ふのは
様々な 「學び」 が 「ひとつ」の 「學び」に繋がってゐるな〜 っと感じるときだ

かういふものを基本にして
世界の「パラダイム」が転換してゐる時代に生まれたことを とても幸運に思ふ

たとへば 「パラレルワールド」「並行世界」
といふ言葉は 「フィクション」として扱はれてゐた

飛行機のない時代の人が
「人は空を飛んで 世界の裏側へ行ける」と聞いたとき 「フィクション」と考へるやうなものだ

まさに ここに 「世代の違ひ」みたいなものが生まれてくるんだと思ふ

パラレルワールド」と本氣で言っている人に對して
「は? 何それ?」
といふのが 古い世代
「私は こっちの世界線に來たのかな〜」 といふのが 新しい世代

世界中の「パラダイム」が變はってしまふと
當然 學びの 「基本」が大きく變はることになる

江戸時代の子どもたちが習ふことと 現在の小學生が習ふことが違ふのも
時代の「パラダイム」の違ひによる

そして 依然として 古い「パラダイム」を持ち續ける 現在の「學校」といふものは
現代にあって 根本的な變革を余儀なくされる

しかし たとへば 時代の要請に合はせたかのごとく 推進されてゐる「プログラミング教育」「IT教育」なるものは
私にとっては 沈没しさうな船に 一生懸命 「超スーパー合金」みたいな新材料をつぎあてしてゐるやうなもので
たくさんの費用をつぎこみ 表面を取り繕ふやうな行為に見える

大規模に構築された機械の 基幹部分を變更するのが難しいやうに
「學校」といふ とてつもない規模の「組織」の「根幹」を變更するのは
まあ ムリゲー なのだ

ニュートンの三つの法則のうち ふたつは いまだに普遍的に成り立ってゐるやうに見え
そのひとつは 「質量が大きくなるほど 運動の状態が變はりにくい」といふ 「慣性の法則」だが
もっと廣義の「慣性」を考へるなら
「大規模な組織ほど 變へるのが難しい」といふことになるだらう

「學校」が時代のパラダイムシフトに直面して 結果起こるだらうことは
教育機関」として 全く新しいものが 世界中に廣がる中で 自然に衰退・消滅していく といふものだ

このやうな状況で 「今 まさに學びたいこと」を學べる環境といふのを「古い世代」が探すのは
難しいかもしれない
むしろ 子供たちの方が 「今何を學ぶべきか」をよく知ってゐる

そのやうに私は考へてゐる

よこ塾の目指すもの

よこ塾は 「與己塾」の略です
与へる 己の 塾

「与へる」とは 何でせうか
何かを 為す といふこと
自分に對して 人に對して 物事に對して 天に對して
私たちは 何かを 為すことのできる 存在です
それを 最大限發揮したい

「己の」 とは何でせうか
自分自身が 主體である といふこと
私達は 誰かの人生を生きるわけではなく
何かの 義務を生きるのではなく
自分自身の 人生を歩むのです

人生に 「しなければならない」 ことは
ひとつもありません
學問は 「しなければならない」ことを學ぶのでは ありません

私達 ひとり ひとりが
「決めたこと」
それを 實践するために 學ぶのです

私達は 何を決め
そして 何を為すのか

それは ひとりでも できるでせう
でも お互に 理解し合ひ 自分の 歩む道を 見出すこともできます
それは とても樂しい 冒險です
そして それを實践する場が 「塾」です

「塾」は 辞書通りの意味としては 「勉學をする寄宿舎」といったことですが
この地球 我々の周囲は 既に 勉學のために用意された 「寄宿舎」とも言へます

そこで 自分の能力を 最大限に發揮し 世界を樂しむ
すばらしいことだと 私は 思います

私は たとへ 私一人でも よこ塾の 塾生です
そして 仲間ができたら なおさら 樂しいでせう

これが 「よこ塾」です

よこ塾の 三大柱

  1. 廣く學び 既存の概念に囚はれない
    ----よく學び そして それに とらはれず 自由に發想する----
  2. 真理を探求する
    ----なにが 本物 なのか 探し續ける----
  3. 自分の「好き」を極め 實践する
    ----好きなことを とことん やる----

私の理想とする 教育者

私が 理想とする 教育者 もしくは 指導者 について 書きます

それは 自分自身を 輝かせ

本当に 楽しく 今を生きている人です

私のように 「指導」を依頼されている立場であるならば

私自身が 生き活きと 楽しく 充実した日々を送ることが

私が「この子を導いてください」という依頼に対して

最も効果的に 貢献できるものと 私は信じています

たとえば

例えば あなたの 身近で
もしくは テレビで
聞いたことは ありませんか?
見たことは ありませんか?

よく分からない 怪しげな宗教
カルト と噂されているものも・・・

熱心な信者たちが 何か 怪しげなことに 情熱を傾けていて・・・
その中には 社会的な 犯罪を犯した団体も・・・

想像できましたか?

想像できたなら 少し考えてみてください

あなたが 仮に 生まれた時から
今あなたが想像している 怪しげな団体の中で 暮らしているとしたら
本当に あなたは その団体を 怪しいと 思えるでしょうか?

さらに 次のように 想像してみてください

今 あなたの暮らしている 社会が
あなたの想像したような 「怪しげな」 宗教では決してない
あなたは 言ひ切れますか?

きょうから

よこじゅくのブログを始めました

ここでは 私の日頃使っている 「かな使ひ」ではなく

いわゆる 学校で習う 「かな使い」で書きます (今のところは)

それでも 、や 。(句読点) は あまり使いません

「学校」で習うことは 「学び」のほんの一部です

もっといえば 全然別の「学び方」もあります

江戸時代などは そういったことが当り前でしたが

学制が定着してから

「学校」で習うことのみが

「学び」の基本 とされてきました

私は その考えを覆します